怪人赤マント

赤マント

『怪人赤マント』

昭和十一年、十二年頃のこと。大久保小学校に通っていた小学校三年生の時、その頃赤マントを着た怪人物が現れ人を襲い、あちこちに死体があって軍隊、警察が片付けたという。
赤マントを吸血鬼だという噂で、学校ではパニックになり、誰も学校の便所に入れなくなってしまった。その頃、同じような話が方々であったが、警察はデマだといい、そういうことをしゃべってはいけないと言われた。

(松谷みよ子 『現代民話考7』より引用)




赤マントに関し、伝わっている情報として

・小学生の男の子が学校からの帰り道を歩いていると、電信柱の影に赤いマントを纏った不審な男が立っていた。男の子が逃げ出すと赤マントの男は「オリンピック選手並」の速さで追いかけてきて男の子を捕まえてしまった。男の正体は、子供を捕らえては生き血をすする吸血鬼であるらしい。
・長野県の小学校での話。学校の便所に入ろうとするとマントを着た男の人がいて「赤いマントが欲しいか、青いマントが欲しいか」と聞いてくる。赤いマントを選ぶと、ナイフで刺され真っ赤な血に染まって死ぬ。青いマントを選ぶと体中の血を吸われ真っ青になって死ぬという。学校の怪談でよくある「赤い紙がいいか、青い紙がいいか」や「赤いちゃんちゃんこ(あるいは赤い半纏)着せましょか」と聞いてくる話と同様のパターン。
・『赤いマント売り』の噂。東京横田基地近くにて、背の高い男が「赤いマントはいりませんか」とマントを売りに来る。手には大きな包丁のような物を持っており、「いらない」と言うと追いかけてきて後ろから斬り付ける。すると背中から真っ赤な血が流れ、それが赤マントになるという。

--といったものがある。



怪人赤マントの噂が広まったのは昭和11年前後だと推測されている。
また昭和15年頃にも、赤マントの人さらいが出没して子供をさらう、少女を暴行して殺すという噂が流れたことがある。当時、「赤マント姿の魔法使いが、町の靴磨きの少年をさらって魔法使いの弟子にする」という内容の紙芝居を行ったところ、デマの原因であるとして警察が紙芝居を押収・焼却してしまったと紙芝居作家の加太こうじは語っている。これには同時期に東京谷中で起こった少女暴行殺人事件も関連しているらしい。興行の時期からしてこの紙芝居が噂の発生源だったとは考えにくいが、怪人赤マントの噂に警察が敏感になっていた事は確かなようである。あるいは噂が別の場所から発生していたとしても、この紙芝居が噂を広める一因だった可能性は否定できない。

赤マントの噂が発生もしくは助長した要因として、昭和11年に起こった二・二六事件が最も重要視されている。二・二六事件は陸軍将校らによるクーデター未遂事件である。ノンフィクション作家朝倉喬司の見解によると、噂の内容にも「死体があちこちにあって警察や軍隊が片付けた」とあるように、軍や警察が動かざるをえないような大事件が噂の発生源だったと考えられる。一般人にとって、せわしく出動する軍隊や殺された政府閣僚、非公開裁判の末処刑される反乱将校らの姿はどれも不可解なものであり、戒厳令下で詳しい情報も伝わらないまま様々な流言が飛び交った。この不安定な時代背景と混乱した情報によって赤マントの怪談は生み出されたというのである。さらには青年将校らの身につけていたマント姿も要因の一つとなっている。中でも、反乱将校の一人であった中橋基明陸軍中尉は赤いマントで有名だったらしい。彼の将校マントはカーキ色で裏地が赤く、大股で歩くとチラチラと見え隠れした。また「返り血を浴びても目立たないからね」という中橋自身の発言も残されている。(朝倉喬司「『学校の怪談』はなぜ血の色を好むのか?」)

その他、阿部定事件(定という女性が愛人の男性を殺害し局所を切り取った事件)という猟奇的な事件によるパニックや、同時期に発表された江戸川乱歩の小説に登場する怪人二十面相なども一因と考えられている。マントの赤色はこのような血生臭い事件を連想させるものであり、怪人二十面相はマント姿の怪人と言う不気味なイメージを定着させるのに効果的である。マントの怪人といえば昭和5年に制作された紙芝居『黄金バット』も興味深い。黄金バットは黒マントの悪人を倒したというヒーローだが、正義の味方である方の黄金バットも赤マント姿の怪人なのである。善悪両方のマント姿は、怪人という存在のイメージを構築する意味で見逃せないだろう。




どこからともなくやって来た怪人物が、夕暮れ時に子供を誘拐する…という怪談は後を絶ちません。昔なら、神隠しや天狗の仕業ともいわれました。
柳田國男の『妖怪談義』によると、子供を夕方に誘って行く怪物のことを多くの地域では『隠し神』と呼んでいました。丹波の夜久野では暗くなるまで隠れんぼをしていると隠し神に隠されるといい、栃木県の鹿沼では『カクシンボ』、秋田県雄勝郡では『カクレジョッコ』といいます。神戸には『カクレババ(隠れ婆)』というものが路地の隅や家の行き詰まりにいて、子供が夕方に隠れんぼをしていると捕まえられてしまうそうです。島根でいう『コトリゾ(子取りぞ)』は、子供をさらって油を絞り、南京皿を焼くために使うという恐ろしいものです。
同様の話が遠野物語にも記されており、おそらく維新頃、『油取り』なる者がやってくるという噂が村々に広まったことがあるそうです。夕方過ぎると女子供は外出禁止になり、毎日のように行方不明者の風説が飛び交いました。ちょうどその頃、川原に小屋を建てた跡と魚を焼く串が見つかったことから、油取りはこの串に子供を刺して油をとるのだと恐れられました。油取りは紺の脚絆と手差しをかけた姿をしているといいます。これが来ると戦争が始まるとも噂され、犯罪者とも妖怪ともとれるような存在になっていました。
このように、子供をさらってしまう怪人の噂はそう珍しいものではありません。赤マントの噂は昭和初期に生まれ、平成の世にまで受け継がれました。夕暮れ時に一人ぼっちの子供が危険なのは、昔も今も変わらないのです。




ところで個人的に赤マントといえば、漫画『地獄先生ぬ~べ~』の「Aが来た!」という話がトラウマです。この話に出てくる怪人は、学校の帰り道に現れ好きな色を選ばせて殺すというものでした。子供の頃は本っっ当に怖かった…殺し方も残虐だったし。その後、たまたま加太こうじの『紙芝居昭和史』を読んで、赤マントが昭和に実際流行った怪談だと知りびっくりしました。まさか戦前の話だったとは…古いなあ。昭和に流行り、また復活した訳です。でもまあ、よく考えるとマントなんて着てるぐらいですからね。昭和レトロ万歳。



 → ※怪人赤マント追記
 → ※『わたしの赤マント』について

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(主な参考:松谷みよ子 『現代民話考7』、朝倉喬司「『学校の怪談』はなぜ血の色を好むのか?」『伝染る「怖い話」』、常光徹『学校の怪談~口承文芸の研究Ⅰ』、加太こうじ『紙芝居昭和史』、松山ひろし『真夜中の都市伝説~壁女』、学校の怪談編集委員会『学校の怪談大事典』、柳田國男『妖怪談義』『遠野物語』)
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