『平家物語』の妖怪退治

大河ドラマの中で、源頼政の鵺(ぬえ)殺しが公式でした。すごいな…。

ドラマももうすぐ終わってしまいます。
折角毎週見てるので、『平家物語』に関する話題でも。


○○○


『平家物語』の妖怪退治。
(※人物デザインはドラマのイメージですが内容は特に関係ありません)


平家物語武勇伝


①頼政の鵺(ぬえ)退治

仁平の頃、当時在位していた近衛天皇が毎晩何物に怯えさせられるということが起こった。有名な高僧に祈祷させても効果が無い。丑の刻になると東三条の森から謎の黒雲が沸き立ち、御所の上空を覆っては近衛天皇を苦しめるのだった。
以前にも同じような事が起こった際、武士である源義家が弓を鳴らす儀式によって解決したという前例があった。そこで再び武士の中から源頼政が選び出され、御所の警護を命じられた。頼政は「朝廷に武士が置かれるのは反逆者を退ける為なのに、目に見えぬものを退治しろといわれても」と不満を口にしたが、命に従って参内した。
郎党である猪早太をたった一人従え、山鳥の尾で作った矢を二本携えていた。もしも一本目の矢で失敗したら、二本目の矢で、自分を推薦した源雅頼を射殺してやろうと思っていたからである。
そして例の刻限になり、黒雲が御所を覆った。頼政がきっと見上げると、雲の中に怪しい姿があった。「射損じたなら生きてはおれない」と思いながら、頼政は心の中で「南無八幡大菩薩」と唱え、ひょう、と矢を放った。手応えがして矢が当たり、何かが落ちてきたのを猪早太が取り押さえる。彼は続けざまに太刀で九回貫いて止めを刺した。
退治した生物を皆で確認すると、頭が猿、体が狸、尾が蛇、手足が虎という謎の姿をしており、鳴き声は「鵺」という鳥に似ているという恐ろしいものだった。感動した近衛天皇は頼政に『獅子王』という剣を下さった。怪物の死骸はうつろ舟(木をくりぬいて空洞にした舟)に乗せ川に流された。
その後、応保の頃に二条天皇が同様の怪に悩まされた際も源頼政が退治したという。

《平家物語:巻第四『鵺』》




②平清盛の目競(めくらべ)

都を福原に移されてからというもの、平家の人々は夢見が悪く、もののけ達にも悩まされていた。
平清盛は寝ているところを巨大な顔に覗かれたが、睨み付けると消え去った。新しく造られた岡の御所というところでは、無いはずの大木が倒れる音がしたり、虚空から二、三千人でどっと笑う声が聞こえたりした。
ある朝目を覚ました清盛が庭を見ると、そこには数えきれない程の髑髏がひしめき合っていた。髑髏の大群はごろごろと転がり、ぶつかって離れたりまたくっついたりを繰り返す。清盛は「誰かいるか」と呼びかけたが誰も現れなかった。そうしているうちに転がっていた髑髏たちはやがてくっつきあってひとつに固まり、山のように大きくなった。その大きな塊に人間と同じような目玉が千万と現れ、瞬きもせず清盛を睨み付ける。しかし清盛は少しも騒がず髑髏を睨み返した。あまりに強く睨まれた髑髏は、露霜が日に照らされて溶けるように消え失せてしまった。

《平家物語:巻第五『物怪之沙汰』》




③平忠盛と油坊主

寵愛する祇園女御の元へ、白河上皇がお忍びで向かう途中のことである。白河上皇は、殿上人二人と数人の武士を引き連れていた。すると五月雨の降りしきる中、御堂の側に光る怪しい者が現れた。頭髪は磨き上げた銀の針のように輝き、片手には小槌のようなもの、もう片手には光るものを持っている。「これこそ本物の鬼だろう、手に持っているのはいわゆる打ち出の小槌というものではないか」と一同大騒ぎする。そこで白河上皇は、北面の下級武士だった平忠盛を呼び「あの者を射殺し斬り捨てよ」命じられた。しかし忠盛は「大して危険な奴ではなさそうだ。狐か狸の仕業だろう。それを射殺してしまうのはあまりには無下なことであるから、生け捕りにしよう」と思いながら近づいた。
その者は、ぱっと光るのを二、三度繰り返し、そこへ忠盛が走りよって組み伏せた。すると組み伏せた相手は驚いて「これはいかに」と騒ぐ。どうやら変化のものではなく、人間らしい。明かりで照らしてよく見ると、それはただの年老いた法師だった。御堂に仕える法師が、燈籠に明かりをつけて回っているところだったのである。雨よけにと頭から被った小麦の藁が銀の針のように輝き、油の瓶が小槌に見え、光るものは土器に入った明かりの火だった。
忠盛の思慮深さに感動した白河上皇は、寵愛していたはずの祇園女御を忠盛に下された。彼女はこのとき子を身ごもっており、その子こそが後の平清盛であるという。

《平家物語:巻第六『祇園女御』》





以上、『平家物語』に書かれている妖怪退治(?)についてでした。

このほかにも妖怪や怨霊は沢山登場するのですが、今回は妖怪退治の話だけを選んでみました。
『平家物語』は歴史物語だけでなく、こうした不可思議なエピソードも沢山含まれています。中でも物事の前兆として謎の夢をみるという話が多くあります。「大火事の前、松明を持った猿の大群が火をつけて回る夢を見た」とか「地獄からの使者が火の車を率いて現れるという夢を清盛の妻が見た後、清盛が死ぬ」などなど。そのほか夢以外にも、様々な人物の怨霊に苦しめられ、なんとか鎮めようと苦心する人々の話が描かれています。

ところで『平家物語』の中では、「鵺」はまだ鵺という名で呼ばれてはいません。鳴き声が鵺(ぬえ、またの名をトラツグミ)という鳥に似ていると書いてあるだけでまだ名前は無く、時代が下るにつれてにこの怪物自体を鵺と呼ぶようになりました。ちなみに清盛の「目競」は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』からのネーミングです。忠盛の「油坊主」は歌舞伎などの芸能からだと思われます。


源頼政が退治したという「鵺」は、『平家物語』以外にも多数の文献に登場し、それぞれ詳細も異なります。
『平家物語』では川に流されたとある鵺の死骸ですが、『源平盛衰記』だと清水寺の丘に埋められたことになっています。殺された鵺の行方によっては様々な地域で伝説化されており、例えば大阪都島区と兵庫県芦屋には鵺の死骸を祭ったとされる『鵺塚』があります。川流しされた鵺の死骸が行き着いた先で祟りをなすため、それを鎮めるために塚を作ったといわれています。
また、頼政と鵺の因縁についても色々な伝説が残っています。
その中のひとつに、退治された鵺の霊はその後一匹の馬に変化し、名馬「木下」として頼政に飼われたという話があります。この馬を平宗盛に取り上げられた頼政は打倒平家を決意、そのために身を滅ぼすこととなり、結果的に鵺の怨みが晴らされたというのです。
他にも、頼政の母親が息子に手柄を立てさせたいと思い祈願したところ、祈りが通じて母親は鵺という化物に変化したという話もあります。この話は、そのとき鵺が飛び立ったという愛媛県赤蔵ヶ池に伝わっているものです。

頼政の鵺退治は古くより有名なもので、それだけに創作や伝説も数多く存在するのです。



おまけ
油坊主

こんな感じでしょうか。
あきらかにこの話だけ妖怪関係ない…。




(主な参考文献:『平家物語』、村上健司『妖怪ウォーカー』・『日本妖怪散歩』・『妖怪事典』、笹間良彦『図説日本未確認生物事典』、鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』)

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