八百屋お七

※イラストを一部修正、差し替え済みです。

「世のあはれ 春吹く風に名を残し 遅れ桜の 今日散りし身は」
八百屋お七

『八百屋お七(やおやおしち)』

江戸本郷にあった八百屋の娘。1682年天和の大火の折、避難先の寺の小姓と恋に落ちる。家へ帰った後、火事になれば彼に再び会えると思い、放火。捕らえられ火刑になったという。
井原西鶴『好色五人女』で描かれた他、歌舞伎や浄瑠璃の題材としても有名である。



東京都文京区の円乗寺に、八百屋お七の墓があります。
その墓に関する逸話が、大田南畝の『一話一言』に記されています。とある足軽の夢に、少女の顔をした鶏が現れ、死後の弔いを頼んだという話です。

瀬名貞雄が言うに、八百屋お七の墓が小石川円乗寺(東京都文京区内)にあるという。梵字で「妙栄禅定尼」と記されている。これは古い碑で、先年火災の時に折れたのを、そのまま上に載せてある。
これと同様に銘を切り、立像の阿弥陀を彫刻した新しい碑が傍にある。これは近頃建てた碑である。訳を知りたがっていたところに、ある人が語ってくれた。

円乗寺の住職に聞いた話である。駒込(文京区内)天沢山竜光寺は京極佐渡守高矩の菩提所で、この家の足軽などが度々墓掃除に通っていた。
ある夜、何某とかいう足軽が夢を見た。墓掃除に行こうと夜深くに小石川馬場の辺りを通ると、鶏が一羽現れた。頭は少女の首で、形は鶏だった。足軽の裾をくわえて引っ張るのでその訳を尋ねた。
少女が、「恥ずかしながら、私は以前、火罪に問われた八百屋の七という者です。いまだこのように浮かばれずにおりますので、跡を弔ってはいただけませんか」と頼むのを、夢心地で承諾した。
目が覚め、思いもよらない夢を見たと考えていたが、同じ夢を三夜続けて見てしまった。どうしようもなく駒込の吉祥寺へ向かったところ、それなら小石川の円乗寺へ行くように言われた。そこで足軽が円乗寺を尋ねると、住職いわく「いかにも七の墓はあるとはいえ、火災の節に折れてしまった。無縁のものゆえ、誰も再興せずにある」という。
そこで足軽が墳墓を新たに建て、立像の弥陀を彫刻させ、お七の法名を切らせ、立て添え、法事料を収めて法事を頼んだ。いかなる因縁にて、お七が彼の夢に現れ、法会を行わせたのかは分からない。以後、この足軽が来る事もなかったと、円乗寺の住職は語ったそうだ。

(大田南畝『一話一言』巻三より。現代語訳にて)


(※この話を元に、岡本綺堂が短編を書いております。青空文庫でどうぞ→『夢のお七』



お七の亡霊に関してはいくつか伝承が残っておりまして。
『怪異妖怪伝承データベース』をみますと、


●大正の終わり頃、お七の亡霊が出るという噂が何度かたった。円乗寺の門前に毎夜現れるということが新聞に出た。昭和30年代まで亡霊が出るという噂があった。(東京都)

●おたふく風邪が流行すると、「きちさん、をらん」と書いて門口に逆さに張っておく。「きちさん」は八百屋お七の恋人で、お七の亡魂が頬八丁(おたふく風邪)となってうろつき回る。その亡魂に取り付かれないために「きちさん、をらん」と書く。(鳥取県)

●赤い紙に小さい子供の手の形を捺して、「吉三さんはおりません」と書いて門口にはりつける。これは疫病神に対する魔除けの1つである。八百屋お七が吉三に失恋のまま死んで風邪の神になり、吉三を取り殺そうと各戸ごとに覗き歩くので、この赤い紙を張り出しておくと、吉三の手形ではないので中を覗かずに帰ると信じられている。 (山梨県)


…などなど。悲恋の末、火あぶりにされた薄幸の少女。
文学芸能だけでなく、怪談、さらには民間伝承としても伝わっているようです。
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