中秋の名月

兎の月

兎、兎 何見て跳ねる
十五夜お月さま 見て跳ねる




明日は旧暦の八月十五日、つまり十五夜ですね。十五夜は中秋の名月、あるいは里芋を供える場合もあることから芋名月とも呼ばれています。


よく日本では月に兎が住むといわれていますが、兎と月の組み合わせはインドや中国から伝わったものです。インドの伝説によると、捧げものとして自らの体を火中に投じた兎を帝釈天が月に置いてやったといわれてます。中国では金鳥玉兎といい、太陽には三本足の鳥、月には薬を作る兎や蟾蜍(ヒキガエル)がいるとされています。日本では兎の方だけが広まったようで、薬を作る代わりに餅をつくことになっています。これについては「望月(もちづき)」が「餅つき」の音と似ている為にこのイメージが付いたのだろうといわれています。
インドや中国では他にも「月には宮殿があり月姫が住んでいる」「桂の大木を切る桂男がいる」といった伝承が存在します。日本に伝わった「桂男」の伝承によれば、長いこと月を見ているとこの桂男が手招きして寿命を縮めてしまうともいわれ、長い時間月に見入るのはタブーとされていました。和歌山県での言い伝えの場合、満月でないときに長く見つめると桂男に誘われるといいます。

また、月の表面の陰影が何に見えるかというのも国によって様々です。
日本では餅をつく兎ですが、南ヨーロッパでは蟹、アラビアでは吠えるライオン、ドイツでは木を担ぐ人となっています。世界的に多いのは「水桶を持った者」で、それに関する民話も数多く伝わっています。日本でも、例えばアイヌの民話では水汲みを怠けた罰として、月に連れて行かれ水汲みをさせられている少年がいるといわれています。沖縄県宮古島では、アカリヤザガマという者が間違えて人間に死に水をかけてしまった罰として月で水桶を担いでいるそうです。


○○○


ところで奄美・沖縄地方には各地で「首のない影」といわれる十五夜にまつわる民話が存在します。

その他の月夜とされる場合もありますが、多くは十五夜の晩の話です。


十五夜の月夜、自分の影に首がないことに気付いた男は急いで巫者に占ってもらいます。すると首のない影は死相を表しているといい、「自分の一番大切なものを殺せば助かる」と告げられます。仕方なく男は家畜を殺そうとしますが失敗、しかしその際に妻が間男といるのを発見し手打ちにしました。実は、妻と間男は共謀して夫を殺すつもりだったのです。


喜界島の昔話でも、頭部のない影をみた男が「愛する者に弓を張れ」と教えられやむなく妻を射ます。すると矢は妻を射ぬくと共に、夫を殺そうと隠れていた間男を貫いたといいます。このような月の影による物知らせ説話はこれらの地域に広く分布しているそうです。
沖縄では十五夜に「フチャギ」という白い餅に小豆をまぶした甘くない餅を供える風習があります。一般的に白い餅は月、小豆は星を表し、紅白や五穀豊穣を意味すると言われていますが、「首のない影」説話に基づいて小豆が赤い血を表しているという説も存在します。


せっかくの十五夜なので、ロマンチックな月兎の話の後でも…とも思ったのですが、ついつい血なまぐさい怪談を紹介してしまいました。誠に申し訳ございません。これも怪談好きの性でございます。




明日はぜひ、美しい月夜をお楽しみください。






(主な参考文献:村上健司『妖怪事典』、竹原春泉『絵本百物語』、『日本・中国の文様事典』、『日本の民話事典』、『よくわかる御願ハンドブック』)

台風でした

沖縄地方、やっと台風が通過しましたー。


朝からテレビが付かない…と思っていたら、昼から電気が止まり、夕方からは水道も止まりました。
うわああああ、どんどんライフラインが削られていく…!

ロウソクと懐中電灯を駆使して乗り切りました。暗くて本も読めません。
今日中に戻って良かった…やっぱりこういうのは不安になりますね。ロウソクの弱い炎に照らされながら、「今、怪談話したら盛り上がるだろうな…」なんて考えてしまうのは怪談脳だから仕方ありません。

ネットもようやく繋がりました。
書きかけの記事があったので、本当は昼ごろに更新しようと思っていたのですが。
これからしますー。


かなり強めの台風のようなので、これから来ると思われる地域の方は十分ご注意下さい。

[ 2012/09/29 22:11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

食わず女房(2)

おまけで、食わず女房現代版。
リーマンが居酒屋でぐだぐだするだけの漫画です。
食わず今
食わずおまけ
どう考えても妖怪・怪談カテゴリじゃないけど…前回の続きということで。

食わず女房(1)

食わず女房
食わず女房漫画

『食わず女房』

昔々、大変ケチな男が「飯を食わぬ女房が欲しい」と言っていたところ、ある日突然美しい娘がやって来て「飯を食わぬから嫁にしてほしい」と頼む。男は喜んで娘を嫁に迎え、娘は本当に何も食べず良く働いた。
しかし嫁が食べずにいるというのに、何故か米びつの米が減っていく。不審に思った男は仕事に行くふりをして嫁の様子を窺ってみることにした。すると留守番をしている嫁は、米を大量に取り出して大釜で炊き、沢山の握り飯を作った。それから急に結った髪を解くと、嫁の後頭部にはもう一つの大きな口が存在した。そこに握り飯をどんどん放り込み、また元通りに結いあげてしまった。
恐ろしく思った男はいつも通り夕方に帰宅し、適当な理由をつけて嫁に暇を出した。嫁は正体がばれた事を悟り、男を桶の中に押し込むとそれを担いで山へと走り出した。途中で男はなんとか脱出する。すぐさま菖蒲と蓬の草むらに身を潜めたところ、嫁は菖蒲と蓬が苦手だったために退散した。この日は五月五日であったため、それ以来五月節句には菖蒲と蓬を軒下にさし菖蒲湯に浸かるようになったという。




○○○


食わず女房は、日本の有名な民話である。
全国的に広く伝わる物語だが、東日本と西日本では詳細が異なるという。東日本では主に嫁の正体が鬼や山姥、蛇であったとされ、上述したような五月節句に菖蒲や蓬で魔よけを行う行事の由来譚となっている。
一方西日本の場合、嫁の正体は蜘蛛であることが多い。逃げ出した男は「歳の晩に蜘蛛になって命を取りに行く」と嫁が言っているのを聞いて、囲炉裏の上の自在鉤から蜘蛛が下がって来たところを箒で囲炉裏に落として退治するという結末になっている(焚き火あるいは鍋の熱湯に落とすことも)。そのため「夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ」という俗信がうまれ、それからは大歳(大みそか)に箒を作りその晩に火を焚くという、東日本と同じく行事の由来と関係した話として伝わっている。
東西の大きな違いだけでなく、伝わる場所によって細かな内容の違いが存在する。男が桶に入るのは「家を出ていく前に桶を一つください」と嫁が頼んだ場合が多いのだが、男が自分から桶に逃げ込む話や、男の職業がそもそも桶屋である話(鳥取県赤碕町ではは五月節句に桶屋がこの話を語るしきたりがあったという)もある。夫を山へ運ぶ理由が仲間に獲物を食わせる為である場合も多い。また魔よけの菖蒲と蓬に関しても、嫁はそれらの匂いを嗅ぐと体が腐ってしまう体質である話、嫁の目に菖蒲や蓬が刺さって盲目になってしまう(あるいはそのまま死んでしまう)話など様々である。
タイトルに関しても一般的なのは『食わず女房』であるが、他にも『飯食わぬ女房』『蜘蛛女房』『口なし女房』などがある。『口なし女房』では、そもそも顔面に口が付いてないため飯を食わない女がくるという話になっている。



また『絵本百物語』の「二口女」も、頭部にもう一つの口を持つ女の話である。

継母が実子ばかりを可愛がり、先妻の子は食事も与えられず病気になって死んでしまった。それから四十九日が過ぎた日、薪を割ろうと夫の振り上げた斧が妻に当たって怪我をした。後頭部が割れて出血が多く、なかなか傷が治らない。やがてその傷は唇の形となり、骨は歯のように、盛り上がった肉は舌のようになってひどく傷んだ。しかも何故かそこに食物を入れると痛みは和らぐので、まるで妻には口が二つあるようであった。その後後ろの口がひそひそと喋るようになり、夫が聞き耳を立てると「私の心得違いにより先妻の子を殺した。悪かった」と言っていた。




この話はその後、父と諍い追いかけようとして怪我をした息子の膝頭に口ができたという「人面疔」についての類話とも比較している。人面疔は人面瘡とも言われ、傷が口になったり、できものが顔のようになったりする奇病の事である。二口女の話のように言葉を発し、食べ物を要求したという説話も伝わっている。「二口女」の著者は妻の頭にもう一つの口が生じた事を「自らの悪心より生まれた病」だと述べており、二口女は物語上あくまで病気の一つとみなされている。二口女も食わず女房も「後頭部にもう一つの口を持ちそこから食事をする」という実に良く似た特徴を持っているため混同されやすいが、二口女は食わず女房のように鬼や山姥、蜘蛛のような妖怪としての正体を持つものではない。






前回の記事『執心髪蛇』で「二口女」について触れたので、どうせだから「食わず女房」と一緒に紹介してみました。
頭に口を持つ嫁は怖いけれど、嫁に飯食わせない夫もどうかと思います。


ちなみに「二口女」の挿し絵に付けられた絵師の添え書きには、
「継母が先妻の子を憎んで飢え死にさせ、その後生まれた子には生まれつき首筋にもう一つの口があった。食事の際には髪の端が蛇となって食物を与え、あるいは何日も与えなかったりして苦しめた。恐れ慎むべきは継母の嫉妬である」
という文章が書かれています。本話とはかなり違ったストーリーをしており、しかも病気というより実子本人が生まれついての妖怪のような存在になってしまっているところが面白い。挿し絵の女も別に苦しそうではなく、むしろ蛇の髪を上手く操って楽しそうに食事しているように見えます。いやあ、絵師って結構自由ですね…。

しかしこの場合、本話よりも添え書きの人物の方がよっぽど「食わず女房」に近い存在であるような気もします。生まれつき後頭部に口を持つ娘。人面疔にかかった継母以上に妖怪めいています。もしこの話を民話と結びつけるならば、食わず女房とは嫉妬の業によって生まれた哀れむべき存在ということも考えられるのではないでしょうか。





 「生まれつき二つの口を持ち、疎まれる娘。家を追い出され、一人孤独にさまよっていた。
 そんな中、『飯を食わない嫁が欲しい』などと愚かなことを言う男の噂が耳に入り…」

…なんだかすごく暗い話になりそうです。しかもバッドエンド確実という。



※追記 : 『食わず女房2』の記事へ



主な参考文献:日本民話の会編『決定版 日本の民話事典』
         竹原春泉『桃山人夜話 絵本百物語』

執心髪蛇

髪は口ほどに物を言う。

夢争い


『曾呂利物語』より「夢争いの事」

ある男が、正妻を亡くしてから腰元である女二人と暮らしていた。ある日二人が昼寝をしていると、彼女らの長い髪が突然立ち上り、お互いぶつかり合ったりして争い始めた。男が驚いてその様子を眺めていると、二人の枕元に小さな蛇が一匹ずつ現れた。二匹は舌を閃かせ互いに食い合う。男が近寄ると二匹の蛇はそれぞれの女の胸の上で消え、髪はいつも通りの美しく長い黒髪に戻った。二人を起こし「何か夢でも見たか」と訊ねると、一人が「人と諍っていた気がする」と答えた。恐ろしくなった男は二人に暇をやり、その後はずっと独り身でいたという。女の妄念とは恐ろしいものだ。

○○○

女性の髪が蛇となって争う話の原型として、念仏踊りで有名な時宗の開祖一遍上人の出家由来が挙げられる。若い頃の一遍には二人の妾がいた。二人とも美しく心優しい性格をしており、一遍は両人を同じ位深く寵愛、また妾同士も仲良くしているようであった。しかしある日二人が碁盤を枕にうたた寝していると、突然二人の髪が立ち上り小蛇となって食い合った。それを見た一遍は刀で蛇同士を切り離し、執心や嫉妬の恐ろしさを知って出家したという(『北条九代記』)。一遍の出家由来は領地争いが原因など諸説あるが、この話はその中の一つである。
同様のパターンは高野山苅萱堂に伝わる苅萱道心の伝説(石童丸伝説)にも受け継がれている。筑紫の国の領主加藤左護衛門繁氏は妻子を残して出家し、苅萱道心と名乗るようになる。その後彼のいる苅萱堂に息子の石童丸が訪ねてくるも、苅萱道心は親子と明かすことなく息子を弟子にするというのが伝説の主な内容である。この伝説においても、仲が良いと思っていた妻と妾の髪が争うのを見て苅萱道心は出家を決意したということになっている。

これらの出家由来はもともと仏教説話として語られたものであった。しかし一方で、女性のあり方を説く教訓書などにも利用されており、例えば元禄二年出版の『婦人養草』にも引用されている。『婦人養草』は様々な女訓を指南した文書であり、そのなかでも「一遍上人由来の事」として紹介することで、妬みを戒め貞女の生き方を教えるための参考としている。
またその後の創作にも影響を与えていると考えられ、黄表紙『模文画今怪談』では、眠っている妻の髪が蛇のように動き浮気者の夫の首を絞める。慌てて起こすと「私を捨てて他の女の元へ行こうとするあなたを追いかける夢を見ました」という。そのことが毎夜続くようになったので離別し親元に帰すと妻は死んでしまった。するとその夜大きな蛇が来て夫の腹に巻きついた。夫が出家し女人禁制の高野山に登ると蛇は離れ、麓の方に去って行ったという。
他に『片仮名本・因果物語』でも、死んだ妻が蛇となって巻きつき、同じく出家して高野山に登ると離れていったという話がある。これら二つの物語はどちらも出家由来譚となっており、一遍上人や苅萱道心と同じく仏教説話系の話となっている。


○○○


そもそも蛇体とは、怨みや執心などの妄念を象徴する存在である。
「蛇を半殺しで逃がすと復讐される」との言い伝えがあることからも分かるように蛇は執念深い生き物だというイメージが強い。まばたきもせずじっと獲物の様子を窺い、突如牙をむく。そのくせゆっくりと獲物を呑みこんだりじわじわと絞め殺したりする姿は、成程たしかに陰気な感じがする。
このようなイメージからも窺えるように、蛇と妄念に関する逸話は限りがない。いくつか類話を参照するなら、例えば『新御伽婢子』では恋人に首を切られた女の血の滴りが蛇となって男をとり殺す。『諸国百物語』では執心のあまり蛇体に姿が変わってしまう人間の話がいくつも語られている。『雨月物語』「蛇性の婬」の執念深い蛇女も有名である。さらには能の『道成寺』において清姫は安珍への愛情と憎悪を募らせ、ついには大蛇となって相手を殺してしまう。執心によって人は蛇身に姿を変え、あるいはその心だけが分離し蛇となって相手を追いかける。妄念は兎角蛇体となって姿を現すのだ。

一方でまた、逆立つ髪の毛も高ぶる感情の発露とされることが多い。怒髪天を衝く、髪を逆立てることはまさに怒りの表れだ。しかし古来より、逆立つ髪とは異形の証であった。「蓬(ヨモギ)のように乱れ逆立つ髪」という表現は、日本における鬼や化け物の描写として非常に一般的である。
『今昔物語集』巻三十一第十話に、嫉妬のあまり夫の夢に妻が現れるという話がある。嫉妬した女が鬼や蛇体となるのはよくあるパターンだが、この話の妻は髪の毛が一度にさっと立ち上がる。そして人々から「嫉妬は罪深きことで、きっと来世は蛇に生まれるだろう」と言われてしまう。
異形を表す逆立つ髪といえば、謡曲『逆髪』も有名である。琵琶法師蝉丸の姉「逆髪」は、天皇の娘でありながら生まれつき髪が逆立っていた事でその名を付けられ迫害される。さらに江戸時代の絵巻物には、そのままずばり『逆髪』という髪が逆立っているだけの謎の妖怪が載っていたりもする。髪が逆立つ、とはそれ自体が恐ろしさの象徴なのである。


一般に「髪の毛が蛇」といえば、大抵の人がギリシャ神話のメドゥーサを思い出すのではないだろうか。しかしこの発想は日本においても馴染みのあるもので、例えば先ほどあげた一遍上人の出家由来がそうである。他にも竹原春泉『絵本百物語』の「二口女」の挿し絵は、後頭部にもう一つの口があるだけでなく何故か髪の毛が蛇のように自在に動くというオプション付きである。山東京伝は『桜姫全伝曙草紙』において、死ぬ間際の女性の髪が蛇となって怨む相手に鎌首をもたげるというシーンを描いている。その描写からも、怨みなどの強い妄念は髪に宿るのだという考えが窺える。髪は女の命というが、まさに最後に命尽きる場所こそ髪の毛なのだ。


蛇とは妄念の化身である。
そしてその妄念が一番集まる部位といえば、それはやはり髪であろう。




主な参考文献:高田衛編『江戸怪談集(中)』
         平凡社『別冊太陽 妖怪絵巻』堤邦彦「生活の中の異界」
         国書刊行会『百鬼繚乱―江戸怪談・妖怪絵本集成』

小さな嫁

小さな嫁
『事々録』巻の二より。(奇談異聞辞典『異人異術』)

尾州犬山の酒屋に、深夜異相の者が現れて酒を乞う。その量はとても常人とは思えないほど多かったが、只者ではないと知りながらも酒屋は快く与えた。するとその者は酒の礼に、何でも望みを申せと言う。酒屋は「特に望みはないが、最近妻を亡くして落ち込んでいる」と答えると相手は了解して帰って行った。
その後しばらくして、深夜またあの異相の者が現れた。「約束したあなたの妻だ」と言い、懐から小さな人を取り出して置いて行った。この小さな人は見る間に大きくなり、とうとう普通の女性になった。なにやらひどく疲れているようなので寝かせてやり、翌朝詳しく訊ねると、彼女は江戸新川の酒屋の娘であるという。そこで江戸の方に確認をしたところ、月の初めに行方不明になった娘だと分かった。はたして天狗の仕業であろうか、連れて行って与えたのは神の縁結びに違いないとして、二人はめでたく夫婦になった。



「唐突なあり得ない出会い→即結婚」は、ラブコメの定番ですが。

回るサリー

回るサリー

Sally go round the sun. 回ろうサリー お日さまを
Sally go round the moon. 回ろうサリー お月さま
Sally go round the chimney pots. 回ろうサリー 煙突も
On a Saturday afternoon. とある土曜の昼下がり



マザーグースが好きです。

[ 2012/09/04 20:26 ] マザーグース | TB(0) | CM(0)

片足ピンザ

片足ピンザ

『片足ピンザ』

沖縄県宮古島に伝わる妖怪。夜に外を出歩いていると片足のヤギが現れ、このヤギに頭上を飛び越されると死んでしまうという。あるいはその姿を見ただけで不幸になるとも言われている。
「ピンザ」とはヤギの事であり、片足と言われているが一本足なのか三本足なのかは不明。出現場所も不特定だが、いちばん有名なのはガングルユマタという下里の交差点である。



『オキナワノコワイハナシ』にも出てきたので取り上げてみました。片足ピンザについて、実は一か月くらい前に知ったばかりでして…ネットでたまたま見かけたのです。その直後に、ジュンク堂那覇店で開催された『琉球怪談~百聞の十物語』という怪談朗読会を聴きに行った際、沖縄の出版社ボーダーインク編集長が片足ピンザについての話をされたので驚きました。それ、この間知ったばっかりだ!すぐさま片足ピンザの話が載っているという『読めば宮古!』という本を購入しました。単純ですね。
すると今度は新聞のコラムで見かけたり、『オキナワノコワイハナシ』にも出ていたりして…。なんでしょうこの一カ月。片足ピンザの呪いにでもかかったのでしょうか。

おまけ。三本足バージョンで。
片足